1 はじめに

 日本人女性として初めて宇宙を飛んだ向井千秋さんと6名のアメリカ人宇宙飛行士を乗せたアメリカのスペースシャトル・コロンビアが、1994年7月23日午前6時38分(東部夏時間、日本時間は同日午後7時38分)、当初の予定より1日遅れて、フロリダ州ケネディ宇宙センターに戻ってきました。飛行時間14日17時間55分(353時間55分)、地上から約300キロメートルの円軌道に乗って地球を周回すること236回という、スーペースシャトル史上最長飛行を記録したといいます。
 ところで、宇宙空間には「宇宙線」と呼ばれる、地上でくらしている普通の人が自然界から受ける自然放射線よりもはるかに強力な放射線が飛び交っています。当然のことながら、スペースシャトルで地球を周回しているあいだ、向井さんら7名の宇宙飛行士はこの強力な宇宙線を全身に浴び続けたことになります。
 人体が放射線を浴びることを「放射線被曝」あるいは単に「被曝」といいます。ときどき「被爆」と書いている人を見かけますが、これは爆撃を受けることを意味する熟語ですから、間違わないようにしたいものです。ところで、のちに触れるように、放射線の有害な影響はどんなに低い被曝線量でも発生する可能性があると考えられています。したがって、「無用な放射線被曝はできるだけ避ける」、「避けることのできない放射線被曝は、被曝線量をできるだけ低くする」ことが、放射線防護の原則として確立しています。
 こうした放射線防護の原則は、宇宙線に起因する宇宙飛行士の放射線被曝の場合も決して例外ではありません。宇宙飛行士の被曝管理の実情について詳しく知っているわけではありませんが、たとえばアメリカ航空宇宙局(NASA)は全任務期間についての宇宙飛行士の被曝線量の上限値を4000ミリシーベルトと内部で定め、1970年以来これをガイドラインとして使っています。また、放射線の有害性や宇宙線に関する最新の知見にもとづいて、NASAはこのガイドラインの見直しをするようアメリカ放射線防護委員会(NCRP)に依頼しています。NCRPがこれに応えて作成した報告書が、1989年に刊行された『宇宙での活動によって受ける放射線に関するガイダンス』というタイトルのNCRP報告98です。
 NCRP報告98の内容の紹介は省略させていただきますが、1994年現在の世界人口約57億人のうち宇宙飛行士はおそらく100〜200人ほどの超微小集団に過ぎないでしょう。宇宙飛行士といった超微小集団でさえ、前述の放射線防護の原則が貫かれていることに注意していただきたいと思います。
 それでは、航空機乗務員はどうでしょうか。これらの人びとは日本国内に限ってみても数千人はいるのではないでしょうか。ちょっと想像がつきませんが、全世界ではおそらく十数万人はいるのではないでしょうか。宇宙飛行士とは比べものにならないほど大きな集団です。しかも、ごくごく短時間だけ宇宙空間に飛び出す宇宙飛行士とは異なり、また宇宙飛行士ほど強力な放射線被曝はしないにしても、航空機乗務員は1年間に約800〜900時間の割合で20年間あるいは30年間と、非常に長期間にわたって宇宙線に起因する放射線被曝をすることになります。
 「宇宙飛行士でさえ宇宙線に起因する放射線被曝の管理が行われているのだから、宇宙線に起因する航空機乗務員の放射線被曝の管理もきちんと行われているはずだ」と、誰もが信じて疑わないのではないでしょうか。ところが、残念ながら現在はそうはなっていないのです。まったく不合理きわまりない話です。こうした宇宙線に起因する航空機乗務員の放射線被曝の問題について、この小冊子のなかで、私なりに現状と問題点を整理し、今後の方向性を考える材料を、航空機乗務員のみなさんに提供したいと思います。


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