6 現行法令と国際放射線防護委員会はどう考えているのか?

@不合理な現行法令での取り扱い

 放射線の発生源という観点から放射線被曝を見ると、(1) 自然放射線源による放射線被曝、(2) 人工放射線源による放射線被曝、に大別することができます。さらに、人工放射線源による放射線被曝は、放射線被曝する人の立場によって、(a) 職業被曝、(b) 医療被曝、(c) 公衆被曝、の3つに大別することができます。 職業被曝とは、放射性物質や放射線を取り扱っている職場で働いている人が、その労働のなかで受ける放射線被曝のことをいいます。原子力発電所の労働者の放射線被曝、医師や診療放射線技師あるいは看護婦が病院で放射性物質や放射線を使って医療行為を行っているときに受ける放射線被曝などが職業被曝の例です。また、医療被曝とは、疾病の診断や治療の目的で、被検者あるいは患者として受ける放射線被曝のことをいいます。さらに、公衆被曝とは、職業被曝と医療被曝以外の人工放射線源による放射線被曝のことをいいます。
 さて、わが国には国民を放射線障害から守るために「放射線障害防止法」をはじめとする多くの法令があります。ところが、これらの法令が規制の対象にしている放射線被曝は、いくつかの例外はあるものの、基本的には人工放射線源によるものに限られています。自然放射線源による放射線被曝を規制の対象にしない理由は、自然放射線が人工放射線より安全だからであると信じて疑わない人を時どき見かけるのですが、これは誤解であり間違っています。もともと自然放射線と人工放射線という区別は発生源がどこに由来するかという観点で整理したものに過ぎず、安全と危険という区別とは関係がまったくないからです。それなら、なぜ自然放射線源による放射線被曝を規制の対象にしないのかといえば、自然放射線源による放射線被曝は避けようとしても避けられない放射線被曝であるからです。避けようとしても避けられないのであれば規制しようとしても無意味ですから、そもそも規制の対象にはなり得ないのです。
 もっとも、自然放射線源による放射線被曝であろうと人工放射線源による放射線被曝であろうと、被曝線量が同じならば致死的なガンや重大な遺伝的影響の発生確率は同じです。そのため、外国では建築材料から放出されるラドン(半減期が約3.8日の放射性希ガス)や壁材料中のカリウム40(カリウムの同位体のひとつで、約1万分の1の割合で含まれる。半減期は約12億8000万年)の濃度を規制しようとする動きさえあります。わが国にはまだこういう動きはないようですが、たとえ自然放射線源による放射線被曝であろうと安易に受け入れるのではなく、「避けることのできない放射線被曝は、被曝線量をできるだけ低くする」という放射線防護の原則的立場を貫くことが大切です。一貫させ得ない原則ならば、もはや原則と呼べるようなものではなく、単なるご都合主義に過ぎなくなってしまうからです。
 話を元に戻しますが、わが国の現行法令によれば、線量当量限度(放射線による被曝線量の上限値)は表10のように定められています。この他にも、職業被曝をする人びとについては、全身の年間線量限度は50ミリシーベルトですが、3カ月ごとの線量当量が30ミリシーベルトを超えないように配慮しなさい、また18歳未満の者には放射線を使用する仕事をさせてはいけない、などということになっています。さらに、職業被曝をする人びとの線量当量限度を表10のように定めて放射線障害から守るばかりでなく、労働環境の管理基準を決めて管理が行われています。
 ところで、航空機乗務員の宇宙線に起因する放射線被曝はわが国の現行法令でどのようになっているのかというと、残念ながらまったく規制されていません。

表10 わが国の法令で定められている線量当量限度
  職業被曝 公衆被曝
全身の線量当量限度 50mSv/年 1mSv/年
眼の水晶体の 〃 150mSv/年
皮膚の  〃 500mSv/年
その他の組織の 〃 500mSv/年
妊娠可能な女子の腹部の 〃 13mSv/3カ月
妊娠中の女子の腹部の 〃 10mSv/妊娠中

その理由は、宇宙線は人工放射線ではなく自然放射線であり、自然放射線源による放射線被曝は現行法令の規制の対象外になっているからです。しかし、たとえ自然放射線源による放射線被曝であろうと、航空機乗務員の宇宙線に起因する放射線被曝は職業被曝に加えなければならないものである、と私は思っています。なぜなら、航空機乗務員の宇宙線に起因する放射線被曝はそもそも科学・技術の進歩によってもたらされた人為的な放射線被曝であり、地上付近における宇宙線に起因する放射線被曝とは明らかに質的に異なるからです。また、乗客には航空機に搭乗するしないといった選択の余地がありますが、職業として航空機に搭乗する航空機乗務員にはそうした選択の余地がまったくないからです。
 さらに、加えていえば、1人当たりの年間被曝線量がわが国で最も高い職業被曝者集団である原子力発電所の労働者でさえ、その平均被曝線量は近年では約1ミリシーベルトほどであるのに、航空機乗務員の宇宙線に起因する1人当たりの年間被曝線量は2〜3ミリシーベルトもあるからです。わが国の航空機乗務員の宇宙線に起因する放射線被曝の実態に関するデータがあまりないことは確かですが、日乗連の調査活動によって、1人当たりの年間被曝線量が2〜3ミリシーベルトになることは間違いのないところです。
 より低い線量で被曝している集団が職業被曝者集団として現行法令で放射線障害から守られ保護される一方で、その2〜3倍も高い線量で職業的に被曝している集団が現行法令の規制の対象外に置かれている状態は著しく公平さを欠き、不合理そのものではないでしょうか。

A国際放射線防護委員会(ICRP)の1990年勧告

 航空機乗務員が地上付近で生活する普通の人びとが自然界から受ける自然放射線よりはるかに強い宇宙線によって放射線被曝することは、科学・技術の進歩によってもたらされた人為的な自然放射線源による職業的な放射線被曝であり、わが国の現行法令のみでなく、国際的にも当初はまったく想定していなかったものです。国際放射線防護委員会(ICRP)も自然放射線源による放射線被曝は管理の対象として取り上げない、というのが従来の一貫した考え方でした。
 しかし、科学・技術の進歩によって人間の活動する範囲が空間的に広がり、従来にはなかった新しい自然放射線源による放射線被曝に遭遇することは、今後も起こり得るはずです。このような場合、自然放射線源による放射線被曝という理由だけで管理の対象外に置かれ、いつまでも適切に対応できないようでは困ります。国際放射線防護委員会(ICRP)のなかでどのような議論が行われたのか私にはわかりませんが、国際放射線防護委員会(ICRP)は1977年勧告を根本的に改訂した新しい勧告を1990年に発表しました。そこでは、自然放射線源による放射線被曝は管理の対象として取り上げないという従来の考えを根本的に改め、たとえ自然放射線源による放射線被曝であろうと、次のような放射線被曝は職業被曝の範囲に加えるべきであると勧告しています。少し長くなりますが、その部分をそのまま引用しておきます。

 「(a) 規制当局が、ラドンに注意が必要と言明し、該当する作業場所であ
   ると認定した場所における操業。
  (b) 通常は放射性とはみなされないが、微量の自然放射性核種を有意に
   含み、それが規制機関によって認定されている物質を扱う操業および
   その物質の貯蔵。
  (c) ジェット機の運航。
  (d) 宇宙飛行。
 ケース(a)および(b)に関する量的な明細の定義は、地方的状況に依存するで
 あろう。しかし、非常に一般的な指針として、温泉、露天堀りを含めたほと
 んどのウラン鉱山、その他多くの地下鉱山と洞穴、および、ある種の他の地
 下作業場所における操業が、ケース(a)の例となりそうである。ケース(c)は
 おもに航空機乗務員に関係する項目であろうが、他の乗客よりも頻繁に飛行
 する添乗員といったグループにも注意を払うべきである。ケース(d) はきわ
 めて少数の個人に関係するものなので、ここではこれ以上の議論はしない」

国際的に大変権威のある国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告だからといって、ありがたがって無条件に受け入れる後進的態度は避けようと思いますが、職業被曝の範囲を従来より広げ、人為的な自然放射線源による放射線被曝をも管理の対象に含めるようにしたことは、大変に重要なことであると思います。
 いずれにせよ、国際放射線防護委員会(ICRP)が前述のような1990年勧告を発表したことによって、国際放射線防護委員会(ICRP)勧告に準拠して作られているとされるわが国の現行法令も、新勧告の内容を取り入れた形での改正が行われることは必至です。なぜなら、政府は現行法令の根拠を国際放射線防護委員会(ICRP)勧告に準拠して作られていることに置いてきたわけですから、新勧告を無視するわけにはいかないと思うからです。もっとも、1977年勧告が現行法令に取り入れられたのは1989年のことでしたから、1990年勧告の現行法令への取り入れは早くて1990年代末、おそらく2000年代初頭になるのではないでしょうか。
 ところで、1990年勧告では職業被曝の線量限度として、表11に示した内容も勧告されています。この表から、妊娠中の女子の腹部の線量限度(厳密には補助的な限度)が2ミリシーベルトであることがわかります。これの意味すると

表11 1990年勧告の線量限度(職業被曝の場合)
  1990年勧告 1977年勧告
全身の線量限度 20mSv/年 50mSv/年
眼の水晶体の 〃 150mSv/年 150mSv/年
皮膚の 〃 500mSv/年 500mSv/年
その他の組織の 〃 500mSv/年 500mSv/年
妊娠中の女子の腹部の 〃 2mSv/妊娠中 年間の被曝が線量限度の3/10を超えるお
それの>ない作業のみ許される

ろは、妊娠しているとわかったならば、妊娠の残りの期間のあいだは女子の腹部の表面に対して2ミリシーベルトを超える職業被曝をさせてはいけないということです。すでに述べたように、航空機乗務員の宇宙線に起因する放射線被曝線量は1人当たり年間平均2〜3ミリシーベルトになることは間違いのないところですから、あるいは現在、この値を超えて放射線被曝している妊娠中のスチュワーデスなど客室乗務員のいる可能性がないとはいえないのではないでしょうか。このような問題があることも指摘しておきたいと思います。
 なお、1990年勧告を読む限り、私の読解力に問題があるのかも知れませんが、職業被曝者としての航空機乗務員の線量限度は従来の職業被曝者の線量限度をそのまま適用するのかどうかが曖昧です。従来の職業被曝者の線量限度をそのまま適用することは当り前のことで述べるまでもないことだ、と国際放射線防護委員会(ICRP)は考えているのかも知れません。あるいは今後の検討課題であると考えているのかも知れません。この点が不明確で曖昧ではあります。


 目次へ