第2章 報告書の疑問点
報告書25頁には「4名を除いた他の者は即死若しくはそれに近い状況であった」との記載がある。
しかし、この事故の4名の生存者らは墜落後、しばらくの間は多くの人の息づかいや話し声を聞いている。生存者の一人、落合由美さんは
『墜落直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。一人でなく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわり全体からです。
「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。
次に気がついたときは、あたりはもう暗くなっていました。どのくらい時間がたったのか、わかりません。』
(中略)
『どこからか、若い女の人の声で、「早くきて」と言っているのがはっきり聞こえました。あたりには荒い息遣いで「はあはあ」と言っているのがわかりました。まだ何人もの息遣いです。
それからまた、どれほどの時間が過ぎたかわかりません。意識がときどき薄れたようになるのです。』
(中略)
『突然、男の子の声がしました。「ようし、ぼくはがんばるぞ」と、男この子は言いました。学校へあがったかどうかの男の子の声で、それははっきり聞こえました。しかし、さっき「おかあさーん」と言ったこと同じ少年なのかどうかは、判断はつきません。』
(中略)
『やがて真暗ななかに、ヘリコプターの音が聞こえました。あかりは見えないのですが、音ははっきり聞こえていました。それもすぐ近くです。これで、助かる、と私は夢中で右手を伸ばし、振りました。けれど、ヘリコプターはだんだん遠くへ行ってしまうんです。
帰っちゃいやって、一生懸命振りました。「助けて」「だれか来て」と、声も出していたと思います。ああ、帰ってゆく・・・・・。
このときもまだ、何人もの荒い息遣いが聞こえていたのです。しかし、男の子や若い女の人の声は、もう聞こえてはいませんでした。』
(中略)
『涙はでません。全然流しませんでした。墜落のあのすごい感じは、もうだれにもさせたくないな。そんなことを考えていました。そして、また意識が薄れていきました。
気がつくと、あたりはあかるかった。物音は何も聞こえません。全く静かになっていました。生きているのは私だけかな、と思いました。でも、声を出してみたんです。「がんばりましょう」という言葉が自然に出てきました。返事はありません。「はあはあ」という荒い息遣いも、もう聞こえませんでした。』
落合さんは墜落後16時間以上たってから、救出された。この16時間の間に生存者はかなり多くいたことは明らかで、捜索救難がもっと速く行われていれば生存者はもっと多くなっていた可能性がある。
このことは「墜落の夏」(新潮社 吉岡 忍著)の中でも指摘されている。
’85年8月16日付け東京新聞の報道では、「墜落地わかっていたのに・・・」と地元民 県警など取り上げず との見出しで(資料 5)
「墜落現場が小倉山だの御座山だのと言っていたのは、機動隊や自衛隊の連中だけだ。オレたち地元の住民は12日の夜から、南のスゲノ沢の方だと確信していたんだよ。なのに、(警察などは)オレたちの声を無視してあさっての方向を捜索させた。4人以外にも生存者がいたのなら夜中でも十分救出に行けたんだ!」
と生存者ら4名を最初に発見した人は語っている。
地元の関係者は、県警側は「小倉山へ向かう」と主張。地元側は「絶対に違う」と反論したが、機動隊長がガンとしてゆずらず、結局間違った方面へ捜索隊を出発させてしまったと語っている。
朝日新聞社会部の作成した「日航ジャンボ機墜落」によると、墜落地点として多くの連絡者のはっきりしている情報の中で、何故か20時8分にあった長野県警への「氏名不詳」の110番の情報、「現場はぶどう峠の長野県側(北相木村)だ、とだれもが信じた。
何故このような「氏名不詳」の情報に踊らされたのか?
この捜索の誤りの責任を追及するのでなく、このようなばかげたミスはどうやれば再発を防げるか検討する必要が事故調にはあったのではないか。
事故調のように「4名以外は即死またはそれに近い状態であった」と事実を曲げてしまったのでは、捜索救難の改善は生まれてこない。「ようし、ぼくはがんばるぞ」と叫んだ子どもの死は無駄にされている。
事故調が123便で発生したと推定している、毎分28万フィート(1分間で9万3千メーターの高度の気圧まで低下)の減圧は、「個人差はあるものの同機に発生したとみられる程度の減圧は人間に対して直ちに嫌悪感や苦痛を与えるものではないので、乗務員は酸素マスクの着用について心に留めつつも飛行の継続のために操縦操作を優先させたものと考えられる。」と述べている(報告書115頁)。
また、事故調は、減圧室を使用して、被験者1名で、650ftの高度から24000ftの高度まで約5秒間で減圧させた。被験者は試験開始から終了まで酸素マスクなしで課題作業に従事した。その結果、被験者には急減圧による格別の症状は認められなかったと報告書の付録176〜179ページに記載している。
しかし、この減圧テストの被験者本人が、日航の乗員らに対して「減圧試験は650ftから24000ftまで、計画では7秒であったが5.3秒で減圧させた、その結果は肺の空気が激しく吸い出され、すぐに視野が暗くなる等の酸欠症状が現れたため、直ちに酸素マスクを着用しなければならなかった。」と話しており、事故調の試験結果をはっきりと否定している。
’86年11月25日午後1時半より、日本航空機関士会の会員10名は航空自衛隊 航空医学実験隊(東京都立川市)をの見学した。
「緊急時における人間の行動について」講演を聴いた後、低酸素症実験と急減圧実験等を見学した(資料 6ー1,2)。
この見学について見学者の一人は、次のように同会の会報('87ー1ー15)に
「高度25000ftでの低酸素体験では被験者の顔色が、1分半位で土色になり、マスクを着け酸素を吸い出すと、見る間に顔色がバラ色に戻りました。(中略)最も印象に残ったことは、雑談の中で聞いた日航事故を想定して、客室高度650ftを7〜8秒かけて24200ftに急減圧した実験で、今まで経験した事がないほど肺から空気が吸い出され、すぐにまわりが暗くなり(低酸素症)思わず酸素を吸ったという話でした。」と感想を寄せている。
この実験について、「悲劇の真相」(鶴岡憲一・北村行孝著 読売新聞社)183頁に急減圧論争の項目の中で、この実験についての記載がある。
これによるとこの実験に対して「事故調の意気込みには、ただならぬものがあった。」そして、この実験の結果『「クルーが操縦不能にならなかったことは、急減圧が発生しなかったことの理由にはならない。急減圧が起きれば操縦できなくなるという説も成立しない」との事故調の判断は、このテストで固まったのだ。』と記載されている。そうであれば、この実験こそ事故調の急減圧を中心とするストーリーの決定的な要素となっていることになる。
この決定的な実験の被験者A氏が日航の乗員らに対して「すぐに酸欠症状が現れ、酸素マスクを着用した」と述べているのである。
これは極めて重要なことで、事故調の報告書の核心部分に疑惑がもたれていることになり、報告書が根底から信頼できないものとなっている。
この実験結果については、従来の航空界の常識をであった有効意識時間は、2万フィートで5〜10分という定説を覆すものでもあり、再度公開実験が不可欠である。
CVRは操縦室内の会話や音を録音したテープである。従って操縦室の個人的な会話も録音される。また刑事責任の追及に利用されたならば乗務員らは自分を守る権利も奪われてしまう。そのためCVRは航空の安全の向上のためだけにしようする目的で装備されている。ところが中標津YS−11墜落事故(’83年3月11日)では乗務員の刑事責任を追及するために、検事がCVRを悪用しようとした。
さらに、日本航空のモスクワ事故(’72年11月28日)の時にはCVRに記録されていた「やっこらさ」というかけ声を悪用して、乗員の弛み事故などと事故原因を乗員の操作ミスであるかのような印象を世間に与えるために利用した。
日本航空のニューデリー事故では運輸省はCVRの声をテレビで公表している。ところが今回の日航123便事故ではCVRは全くの極秘扱いで、事故機の乗員の同僚や家族にさえも聴かせていない。
以下に述べるように事故調の解読は極めて曖昧である。かりに事故調の人ではわかりにくい発音でも、同僚や家族ならば正確に理解できる場合もあり得ると考えられるがそれすらもやっていない。よほど事故調にとってまずいことがCVRに記録されていたと疑われているのもやむを得ない。
太字部分は不確実な解読を示す
(1)'85.8.27 解読 |
(2)'86.3.28 解読 |
(3)'87.6.19 解読 |
| 30' 27" F/E (インターフォン) キャビンプレッシャーどうでしょうか。 キャビンマスクは落っこちてますか。 ああそうですか。じゃあキャビンプレッシャー・・・して下さい。 |
30' 29" F/E オキシジェンプレッションどうですか オキシジェンマスクおっこってますか |
30' 28" F/E オキシジェンプレッシャーどうですか? オキシジェンマスク?おっこってますか? |
| 30' 52" F/E キャビン マスクがドロップしているから ・・・・・ キャビンプレッシャはドロップしてます |
30' 52" F/E オキシジェンマスクがドロップしているから |
30' 52" F/E (左に同じ) |
| 31' 35" ハイチャイム はいなんですか。もっと後ろの方ですか。えーと、何がこわれているのですか。どこですか。 あーあーあーあー、荷物の収納室のところですね あのですね、荷物室に入れてある収納室の一般のですね。荷物の収納スペースのところが落っこちてますね。 33' 12" ハイチャイムF/E アールファイブの窓ですか。 33' 33" CAPT はい |
31' 36" ハイチャイム 31' 41" F/E えーと、なにがはがれてるんですか。どこですか。 31' 59" CAPT 荷物の収納スペースのところがおっこってますね。 32' 32" F/E 33' 13" ハイチャイム 33' 23" F/E CAPT はい |
31' 36" ハイチャイム 31' 41" F/E えーと、なにがこわれているんですか。 31' 59" CAPT 32' 11" F/E 32' 32" F/E 33' 13" ハイチャイム 33' 23" F/E 33' 35" エマディセントやったほうがいいと思いますね。 CAPT はい |
| 33' 55" F/E マスクを我々もかけますか CAPT はいかけた方がいいです F/E・・・・・ CAPT はい |
33' 46" F/E マスクを我々もかけますか CAPT はい COP かけた方がいいです 33' 54" F/E |
33' 46" F/E マスクを我々もかけますか CAPT はい COP かけた方がいいです 33' 54" CAPT 33' 54" F/E オキシジェンマスク出来たら吸った方がいいと思いますけど CAPT はい |
| 35' 22" JL123 ええとですね。今あのー R5のDOORがあのー BROKENしました。 えーそれで 今DESCENTしております。 |
35' 34" F/E ええとですね いま あのー アールファイブドアーがブロークンしました えーそれで いまあー デイセントしております えー |
35' 34" F/E (左に同じ) |
以上の解読を全般的に比較すると、事故直後の’85年8月27日の解読が乗員の目から見れば一番納得できるものである。
(1)の解読の30分27秒の「キャビンプレッシャどうでしょうか、 キャビン マスクはおっこってますか」という質問は減圧の疑いがあるときには極めて自然な質問である。
しかし、(2)の解読になると30分29秒「オキシジェンプレッションどうですか」「あーそうですか じゃーオキシジェンプレッシャー あーその・・・・つけてください」という解読は、プレッションという言葉も使うことはなく、客室には酸素圧力計もなく、客室乗務員に酸素の圧力を尋ねるこはあり得ない。
(1)で確定的な解読であった「キャビンプレッシャー」が(2)不確実な「オキシジェンプレッション」となり3の解読になると「オキシジェンプレッシャーどうですか」と確定的な解読に変わっている。
客室に乗客用の酸素の圧力を示す計器はない。この解読の変化は不自然であり、2の段階で何らかの意図を持って解読が修正されたものと見ざるを得ない。その意図は、「R5の窓ですか」を「まだ」に変更する布石であったと考えることもできる。
このように、事故原因に直接関わる部分でCVRの解読は不自然に変化しており、そこに意図的なものを感じる人は多い。CVRの解読についてのこの他の疑問点を以下に列挙してみた。
報告書では事故調の解釈によるCVRの解読のみを報告書に示している。しかし、CVRは音の記録であり、事故調の公表したものの中には聴聞会用の資料である事実調査報告書の案までにはなく、最終報告書で18時30分39秒につけ加えられた、「PO2」という言葉などは、どの様に発音していたのか全く不明の記述がある。
少なくとも「ピーオー・ツー」なのか「ピーオー・に」あるいは「ポータブル・オーツー」と聞こえたのか、事故調の希望する「解釈」でなく、音の記録である以上、せめて、どの様に聞こえたのか、「解読」の結果を示さなければ意味がない。また、PO2については乗員の中でも、単独では直ちに意味が理解できないものも見られるほど、一般的な呼び名ではなく、この解読には疑義を示すものが少なくない。
さらに事故調の解釈に疑問が出されているのは、18時35分35秒頃機関士が社用無線で報告した「R5のドアが、ブロークンしました。えーそれで、いま・・いまディセントしております」という内容である。
この通信を傍受したものは少なくない、「事故直後報道されたのは、R5ドア(右最後部ドア)が破損し、墜落した。」であったことは多くの人が記憶している。
事故機の残骸からR5ドアは墜落地点で発見された。
そのため乗員の間で、R5ドア、ブロークンが何を意味するのかが話題になった。その結果は多くの乗員が、R5ドアが破壊飛散するとすれば胴体後部の大規模な破壊であり空中分解のような状態になる。したがってR5ドアの部分的な変形か破壊ではないか、窓が割れた可能性もあるのではないかと推定した。
事故から15日後の8月27日に事故調が解読したCVRの内容が公表された。その中で18時33分20秒過ぎ頃の記録として、機関士と客室乗務員の間のインターフォンの会話として「アール ファイブのまどですか、はい りょうかいしました」と確定的な聞き取りとして(不確実部分はアンダーラインがつけられていたがこの部分はなかった)記載され、続いて機関士はその内容を、33分33秒頃に 「キャプテン」と呼びかけた後、「アールファイブの窓が・・・エマディセントやったほうがいいとおもいます。」と機長にアドバイスしている。
これによって乗員らの疑問は解け、やはりR5の窓付近に異常があったのだ、それを機関士はR5ドアーブロークンと報告したのだと理解、納得できた。
ところが、事故調が聴聞会のために’86年3月28日付で作成した事実調査報告書の案では、確定的な読みとりであったはずの20秒過ぎの「アール ファイブのまどですか」が「アール ファイブの・・ですか」と解読不明に変えられ、続く機長へのアドバイスも「アールファイブのマスクがストップですから ひとつ これ エマディセントやったほうがいいとおもいますね」に変更された。
続いて、’87年6月19日に公表された最終報告書では、「アールファイブのはまだですか」(下線部分は不確実な解読)と確実から不確実に改められた。機長への報告は 「アールファイブのマスクがストップですから・・・エマージェンシーディセントやったほうがいいとおもいますね」
つまり、「まど」 「・・・」 「まだ」と確実から不確実へと変化し、機長への報告は
「まどが・・・」 「マスクがストップですから ひとつ これ エマージェンシーディセントやったほうがいいとおもいますね」 「マスクがストップですから・・・エマージェンシーディセントやったほうがいいとおもいますね」
と変化している。これについて乗員の中から、まどならば理解できたのが、R5のマスクではおかしい。機関士は何時・誰から「R5ドアブロークン」の情報を得たのか? 第一R5のマスク等という言葉は乗員は使わない。「R5のマスク」の意味を多くの客室乗務員に尋ねたところ、「R5ドアの客室乗務員席の頭上にある酸素マスクのことですか?」との質問が帰ってきている。「R5付近のマスクが不作動ならどの様に操縦室に報告するか?」との質問に対しては、「Eコン右側の酸素(マスク)が出ません」(Eコンとは、Eコンパートメント・・後部客室・・の略称)との答えが圧倒的に多かった。R5のマスクと答えた人は皆無であった。R5のマスクとはどの様に考えてもR5ドアの客室乗務員用のマスクのことでありそれ以外の意味はない。
「R5のドアがブロークンしました。それでいまディセントしております」との送信は、R5付近の機体に損傷があったことを短く述べたとすると、R5付近に損傷があったことを機関士が情報を得ていなければならない。CVRにはそのような記録はない。いったいどの様にして機体の損傷を確認したのか?
機体の損傷に関する会話は、18時31分36秒客室からの4度目のインターホンの呼び出しに答えて航空機関士が「後ろの方ですか? 何が壊れているんですか? どこですか?荷物を収納するところですね? 後ろの方の一番後ろの方ですね?はいわかりました。」と破損箇所を確認している。このやりとりの中にはR5という言葉は全くない。
それを機長、副操縦士らに伝えている。この破損個所をR5ドアブロークンと省略することはあり得ないと多くの乗員は答えている。
R5付近のマスクの故障を、R5ドアーブロークンと省略することはあり得るのであろうか? 運航乗員、客室乗務員の中では絶対にあり得ないという回答が100%であった。
28万フィート/分という激しい急減圧があればマスクがすべて作動していても緊急降下をするのが当然で、マスクの不作動を理由に緊急降下をするようにと機長にアドバイスすることはあり得ない。この解読の変更の説明はCVRへの疑問を疑惑へと発展させた。
さらに、機関士を始め操縦室の乗員らは酸素マスクを着けていない。客室の一部の酸素マスクが不作動であったとしても、事故調の主張するように 毎分30万フィート程度の減圧が、人間に不快感を与えないのであれば、それほど酸素の圧力などを気にする必要もないはずである。異常発生直後から操縦室の乗員らは急減圧に対する対応をしていない。「ディコンプレッション」のコールもなく、高度の降下の要求も24000ftから22000ftへの降下であり (急減圧ならば13000ftへの降下を要求する)、マスクも着けず急減圧と緊急降下への行動を一切とっていない。
運航乗務員らが減圧(急減圧でない)を確認したと見られるのはCVRの解読から見ると、30分28秒頃に機関士が客室乗務員にインターフォンで酸素マスクが落下していることを確認した時点である。異常発生から6分が経過している。
そのなかで、「マスクは一応みんな吸っておりますから」(32分32秒)と他の乗員に報告していた機関士が、1分もたたない 33分23秒に「R5のはまだですか?」と酸素マスクの具合はよくならないかと質問すると言うことも極めて不自然であり解読は誤っている。
上記のように、機関士が社用無線で会社に送信した 「R5ドア ブロークン」の送信については、多くの人が疑問を待っていた。
これの対して、事故調の関係者が「悲劇の真相」(読売新聞社 鶴岡健一・北岡行高 著)の著者らに、解読の変更のいきさつを気軽に語っている(同書 150頁)。
それによると
| この解読の変更の鍵になったのは、落合さんら生存者の証言だった。「(R5ドアの周辺を担当していた)スチュワーデスは、天井から下がった客席の酸素マスクを伝いながら吸い、乗客の安全指導に当たっていました」というのである。 急減圧が起きた場合、スチュワーデスは、乗客のように天井から下がる酸素マスクを着用していたのでは移動できないため、普通は各スチュワーデス席付近に保管してある携帯用小型酸素ボトルを(容器)を取り出して使う。ところが、R5ドア付近にいたスチュワーデスは、ボトルでなく落下型の客席マスクを使っていたという。 こうした証言とCVR記録の解読から浮かび上がったのは、異常事態の中でのスチュワーデスの活躍ぶりだった。「R5ドア近くの天井から下がった酸素マスクは、隔壁破壊の衝撃のためか、酸素の出がよくなかった。それでスチュワーデスは自分のボトルをその客に譲り、自分はいつか酸素の出がよくなるかもしれないと期待しながら、故障した客のマスクを着けて客を励まし、酸素マスクの着用方法などを指導していた可能性が強い。機関士の福田さんが『R5はまだですか』と尋ねたのは『まだ、酸素マスクの具合はよくならないか』という意味だったのです。さすがにスチュワーデスですね。よくがんばったと思いますよ。こうした経緯の後に福田さんは、日航とのカンパニー無線交信で、R5ドア付近の機体が損傷したらしいことを『R5ドア ブロークン』と、はしょって通報したのだと推測できます」と事故調関係者はナゾを解き明かしてくれた。 |
との記載がある。これによって乗員ら航空関係者は、この解読の変更に対して強い疑惑を持つとともに、これを苦しい言い訳と受け取り、報告書への不信感を決定的なものにした。
この説明に対する第一の疑問は、客席のマスクを適当に使いながら移動することを事故調が疑問視している事である。しかし、客室乗務員らから見れば疑問視するには当たらない。
ポータブル酸素ボトルをコートルームから取り出してマスクをアウトレットにさし込み、バルブを開いてからマスクを着用するのはかなり時間を要する(後述する123便とほぼ同高度で急減圧を経験したUAL811便の急減圧では酸素パイプが切れて酸素が流れず、当然酸素マスクが落下せず、ポータブル酸素ボトルを使用したが、着用にかなりの時間を要し、低酸素症によりめまいを経験している)。従って、酸素マスクが落下した直後に、急いで乗客の援助を必要とする場合などはこのように客席の予備マスクを利用することはあり得ることで、異常な行動ではない。後述するマンチェスター上空でのカナダ航空機の減圧事故では客室乗務員らは客席のマスクを使用して客室内を移動している。
この事故の場合にはポータブル酸素ボトルが収納されている後方のコートルーム付近が破壊されていたことが明らかになっており、激しく揺れる機内で、ポータブル酸素ボトルが、直ちに使用できる状態になかったことも考えなければならない。
客室乗務員自身が客席のマスクを利用しているのに、激しく揺れる機内で、乗客に一人だけしか利用できない重たいポータブル酸素ボトルを利用させたとするのは、他の乗客を差別することであり極めて不自然な想像でしかない。むしろこの想像の方が異常である。
客室乗務員らは「各座席列には予備のマスクがあり、もし一個のマスクが不良でも予備のマスクを利用させるのが普通である」と答えている。
CVRの解読に関連した次の疑問は、酸素マスクの収納部のドアが開いているのにどうして酸素が出なかったのかと言うことである。
酸素マスクの収納部のドア(ふた)は酸素の供給パイプに酸素が流され、その圧力によってドアの止め金が外されマスクが落下する機構になっている(資料 7)。
しかし、この止め金は比較的はずれやすくやや衝撃のある着陸時にもマスクが落下することがある。
減圧によって酸素マスクの収納部が開き、マスクが落下したのであれば、収納部のラッチを外すための酸素は来ていたのであるから、酸素が出ない理由は個別の酸素マスクのトラブルが原因としか考えられない。
酸素マスクの収納部のドアは酸素ボンベから7〜15秒間送られてくる50〜100psiの比較的高い圧力の酸素でラッチを外すことによって開かれる。従って減圧によって酸素系統が作動したのであれば、ドアが開いたことは酸素が供給されていることになる。
酸素系統の配管が破壊されて酸素が供給されていなければ、酸素マスクの収納部のドアが開かない。後述するUAL811便の事例では酸素系統の配管が破壊されたため酸素マスクは落下しなかった。酸素マスクの収納部のドアが開いて、酸素が供給されないとすれば、ドアの開放が酸素圧で開かれたのでなく、衝撃など減圧以外の原因で開かれたものと推定も可能である。
酸素マスクを使用するにはマスクを十分に手前に引いてバルブ・アクチエイティング・ピンを引き抜いて酸素がマスクに流れるようにバルブを開かなくてはならない(資料8)。酸素が出ない理由の多くは、このピンが引き抜かれていないことによる。それを客室乗務員らは指導して回ったのではないかと推定している乗員が多い。
かりに酸素が出なくてもマスクについている吸気弁は吸うことによって客室内の空気を吸い込むことが出来るので、直ちに息が出来ない状態になるものではなく。酸素が流れているのかいないのかは、酸素を一時的にためておくリザーバーバッグの下についている緑色の部分(フローインディケイター)が膨らんでいるか否かで判断される(資料 9)。
この事故の場合のように、操縦席の乗員らが酸素マスクを着用しないでも特に急激に異常が発生していない状態では、多くの乗客らは酸素が流れているかどうか直ちに判断することは困難で判定するまでに時間を要するものと見られる。
生存者らが後部に限定されていたことから、前方客室での酸素の供給は不明であるが次の理由によりR5付近だけが酸素が十分供給されないことは考えにくい。
酸素系統の配管は、資料10の図に示すとおり、酸素マニホールドと呼ばれる主要な配管が客室の周囲に配管され、左右のマニホールドは最後部で左右が連結されている。従ってR5付近だけ酸素が出ない事は考えにくい。事故調はどの様にその事実と理由を確認したのか説明が必要である。
このように疑問だらけのCVRは日航に返還されているが日航はそれを秘密にし、毎日の運航で安全を直接支えている乗員らにも聞かせていない。CVRが企業側の手によって破棄される危険にさらされている。これを阻止するのが真の事故原因を解明する上で急務である。
これまで述べたことだけでこの報告書の信頼性は失われているが、事故調査委員会はまず航空関係の人々から理解信頼される報告書をつくらなければ意味がない。国民から信頼される機関となるために、再調査は不可欠である。日頃B−747型機に乗務している機長らが、大型機における急減圧について会社との公開調査を要求しているが、これら現場で乗務する乗員の疑問に対して事故調査委員会は回答を示さなければならない。
少なくとも、減圧室における28万フィート/分の減圧実験を公開で行うことが社会に対する責任である。
事故発生直後には、事故調もこの事故原因がB−747型機の垂直尾翼の構造上の問題であるとの疑念を抱き、事故から3日後の8月15日に「B−747型機の垂直尾翼と方向舵について一斉点検」を命じている。
これと同時に配布された航空局が作成した資料によると「垂直尾翼の損傷が事故原因の端緒である疑いが強くなったと判断されるので、とりあえず下記のような検査を実施するよう指示することとした。なお、今後の事故調査の進展を踏まえ、また当該型式系列型機の製造国の当局である米国連邦航空局(FAA)とも密接な連絡を保ちつつ必要な措置をとる所存である。」
この措置に対して、整備関係者の一部から適切な措置だとの指摘があった。事実この点検の結果、多くの異常が発見された(資料11ー2)。
ボーイング747型機の垂直尾翼、方向舵については垂直尾翼と胴体を結合しているボルトにストレス・コロージョン(応力腐食)によるひびが入る例が報告されており、方向舵については方向舵を動かす油圧装置の方向舵への取り付け部に同じくストレス・コロージョンによるひび割れが報告されていたからである(資料12)。
ところが、8月15日ボーイング社は尾翼に欠陥はない。これまで一度も尾翼が原因の事故はないとこれに反発した(資料 13. 8月16日付新聞報道)。
この理屈は物事に始まりがないとするもので、技術者としての良心のかけらもない非科学的な態度と非難されるべきものである。
「悲劇の真相」によると8月22日アメリカの調査グループに所属していたNTSBの調査官の一人が、日本側の藤原事故調査官に「隔壁の中継ぎ板の一部が短い。リベット付近をよく調べたほうがいい」と耳打ちし、名刺の裏に図まで書いて教えたと言われている。
続いて8月29日アメリカFAAのスイフト氏らから、「日本航空123便は修理ミスから、2列にリベットが打たれるべきところが、一列しか効いていないそのため強度が低下し、14000回の飛行で圧力隔壁が破断する可能性がある」と日本の航空宇宙技術研究所で日本側技術者らに教えた。そのとき圧力隔壁の金属疲労は断面の電子顕微鏡写真まで提供されている。
この話を聞いた日本側の研究者らは、あっけにとられていたとされている。
アメリカ側はさらに日本の事故調の八田委員長(当時)にに直接話したいと要求している。事故調側ではアメリカの誘導に乗せられることを警戒しながらもこの要求に応じている。
日本側では調査によって確認されるまではアメリカ側の話を極秘扱いにしたとされている。
ところが9月6日にボーイング社がニューヨーク・タイムス紙を通じて、「日航123便事故は圧力隔壁の破壊が原因で、飛行中に減圧が起きた。墜落現場で調査した結果、修理ミスが見つかった。そのため圧力隔壁は強度が不足していた。」と突然発表した。
このようなアメリカの態度が世間に漏れると「事故調はアメリカ側の描いたストーリーを押し付けられている」と見られかねないと、事故調は秘密にしていたと言われている。
その後も、圧力隔壁の破壊が垂直尾翼を破壊したとする、破壊過程の筋書きもアメリカ側がコンピューターによる推定計算を主導的に発表し、それを日本側が裏付けるという経過をたどった(資料 14 昭和61年8月25日付日本経済新聞)。
航空機の製造国であるアメリカが関与していたとしても科学的で、真の事故原因が追究されるならば問題はないと言えるかもしれないが、この事故調査には疑問が多すぎる。
報告書の内容が疑問だらけの上に、この経過が示すように、事故機のメーカーや、製造国が事故調査に主導的に関与している事などから、航空関係者ばかりでなく経過を知る人々からは、日本の事故調の能力と独立性に強い疑問がもたれている。