第1部 事故例に見る事故調査の問題点

【事例1】疑問だらけの事故調査 日航123便墜落事故

■思い出そう、日航123便事故の経過
 1985年8月12日、日航123便(ボーイング747SR-100 JA8119)は18時12分、羽田空港滑走路15Lから離陸し、大阪に向かいました。
 巡航高度24000ftに到達する直前の18時24分35秒、伊豆半島稲取港の東約4 沖の上空で、操縦室音声記録装置=ボイスレコーダー(CVR)に記録された「ドーン」というような大きな音と共に異常事態が発生しました。 事故機の乗員はトランスポンダーで地上のレーダーに緊急信号を送ると共に、「高度22000ftに降下し、羽田へ引き返したい」と管制官に要求しました。これを受けた東京コントロールの管制官は、事故機の要求を承認し、先ず大島へのレーダー誘導のために右旋回で機首を東に向けるよう指示しました。
 しかし、事故調が解読した飛行記録装置=フライトレコーダー(FDR)の記録によると、その後まもなく事故機は操縦不能になり、ダッチロール(傾きと機首方位が周期的に変動し、安定しない機体の動き)とフゴイド(機首が上下し、上昇・降下を繰り返し、速度も大きく周期的に変化する運動)を繰り返しました。その結果、乗員の思うようには上昇も降下も旋回も出来ず、大島に向かうことも出来ませんでした。
 その中で、事故機の乗員は異常発生から10〜12分経過した頃、これまで経験したこともない、エンジン推力の操作だけでフゴイド運動を抑制するということを学習し、一時的に機体を安定させることに成功しています。
 18時40分頃、車輪を降ろして空気抵抗を増し、41分頃から降下を開始、 18時43分まで20000ft以上の高度を飛行した後、6600ftまで降下しました。54分頃フラップを5度まで下げた頃から、フゴイド及びダッチロールがー層激しくなり、全く操縦不能となって、56分頃に御巣鷹(おすたか)の尾根に墜落しました。
 墜落直後には、かなりの生存者がいたものと推定されますが、最終的には4名のみが生存、救出され、520名が死亡しました。

■事故発生後の経過; 米軍情報で謎の深まる事故機の位置

 事故後、墜落位置がなかなか確認されず、そのために救助が遅れ死者が増えたのではないかとの疑問が各方面から出されました。墜落位置に関する位置情報が異常とも言えるほど入り乱れていたのです。  墜落後、25分で米軍機Cー130が墜落地点と見られる火災を発見、それ から1時間近くも経過してから、墜落地点から8 も離れたぶどう峠の長野県側が現場だとの怪情報が流されました。Data1.gif (144664 バイト)(資料1)更に墜落から2時間15分後には、米軍情報に基づいて、朝日新聞社のヘリによって墜落現場が再確認され、写真撮影に成功しています。その3時間後に自衛隊が運輸省や警察に通報した地点が約4 も北にずれた場所で、群馬県なのに、なぜかその地点が、長野県側であるとの誤った情報までつけ加わっていました(自衛隊が発表したといわれる地点は、緯度経度では群馬県側;(資料1)防衛庁情報1)。
 防衛庁からは13日の午前2時になっても、まだ墜落地点は「ぶどう峠から210°/3マイル」とか、「御座山(おぐらやま)の南斜面、頂上から1 」(資料1 防衛庁情報3)などの情報が新聞社に流されていました。13日の朝、明るくなって、墜落地点が視認されてからも、まだ防衛庁は長野県とか、群馬でも5km北西の地点を通報していました(資料1 防衛庁情報4・5)。これらは理解しがたい誤りです。これについては、「単なる誤りとは考えにくい。現地に人を近づけないようにしたのではないか?」との疑問の声が当時から出されていました。
 Data2.gif (62790 バイト)そこへ、95年8月27日付の米軍の準機関紙である「スターズ アンド ストライプス」紙に発表された、MICHAEL ANTONUCCI氏の証言(資料2)が加わり、「米軍がなぜ現地に降下しかけていた厚木基地の救助ヘリや、最初に現場上空に到着していたCー130輸送機に引き返しを命じたのか」「そのことをなぜ口止めしたのか」など、謎は一層深まってきています。
 「スターズ アンド ストライプス」の記事を加え、事故発生後の事故現場確認と救助をめぐる経過を、事故調の報告書、当時の新聞情報などに基づいてまとめてみました。

■墜落地点の確認から救助に至る経過

1985年8月12日
18時59分 救難調整本部は東京アプローチより「18時57分、羽田より30 8°/59NM(ノーティカルマイル・海里)の地点で日航123便がレーダーから機影が消えた」との情報を入手。警察庁、航空自衛隊入間救 難調整所、海上保安庁に連絡。

19時過ぎ 横田基地より、付近を飛行中の米軍C-130型輸送機に123便の 捜索依頼。

19時01分 防衛庁は百里基地より航空機2機(F4ファントム)を捜索に向ける。

19時15分 C-130の機関士が墜落機の煙を発見。
 日本側に横田アプローチ経由で、C-130からの情報として「横田タカン(TACAN:設置された地点からの方位と距離を機上の計器に表示する航法援助施設で、主として軍用に使用されている)の305°/34NMに火災」との情報が入る。

19時20分 Cー130が墜落地点を確認。 横田基地から同機に「厚木基地より 救難ヘリが出発準備中。 1時間で現地到着予定」との情報。

19時21分 19時01分に発進した2機の防衛庁機(F4)は火災を発見。 「横田 タカンから300°/32NM」と位置を確認。

19時54分 防衛庁百里救難隊の救難ヘリ(V107)1機、 百里基地を発進。

20時08分 長野県警へ氏名不詳の110番通報で「事故現場はぶどう峠の長 野県側」との情報(ぶどう峠は墜落地点の北北西約8kmの群馬と長野の県境)。この情報に多くの関係者が振り回された。(資料1)20時30分 Cー130は上空を旋回、厚木からの米軍ヘリを現地へ誘導。 朝日新聞社ヘリが米軍からの位置情報を基に羽田を離陸。

20時33分 東京空港事務所長は航空自衛隊中部方面隊司令官に災害派遣を要請。

20時42分 19時54分に発進した防衛庁救援ヘリ(V107)現地上空に到着。 墜落地点を「横田タカンの299°/35.5NM」と測定。

20時50分 厚木救難ヘリの現場到着をC-130の乗員が確認。ヘリは現場 へ降下準備。

21時05分 厚木の救難ヘリはCー130に「煙と炎が非常に濃い。少し離れた ところへロープを使用して降下する」と連絡。 横田基地司令部より「厚木の救難ヘリもC-130も直ちに基地へ 引き返すよう」命令。(理由は日本側がそちらに向かっている)

21時10分 20時30分に羽田を離陸した朝日新聞社ヘリが現場上空に到着。 炎上中の事故機を撮影。約20分間の取材後、位置を測定。「群馬県側で羽田より304°/60NM」(後にこの計測は再確認)。

21時20分 横田アプローチからC-130へ「最初の日本側飛行機が現地に到着」との連絡。

21時30分 東京空港事務所長は陸上自衛隊東部方面総監に災害派遣を要請。

21時59分 自衛隊より運輸省に「墜落現場は北緯36°02′、東経138°41′で 御座山の北斜面長野県側」と連絡。しかし、その座標は実際 には長野県側ではない。(資料1 防衛庁情報1・2)

22時50分 朝日新聞社ヘリが自衛隊からの位置情報を確認のために羽田 を発進し、自衛隊が運輸省に通報した地点には墜落の形跡がないことを確認。また、事故現場は前回の測定に誤りがないことを再確認。現場上空に自衛隊のものと思われるヘリが飛行しているのを視認。

23時30分 長野県警は「現場は群馬県内、と判断している」との見解を正式発表。

?    Cー130の乗員は横田に到着後、第816戦術飛行隊の副司令JOEL SILLS大佐より123便関係のことについて口止めされる。

8月13日
01時00分 埼玉県航空自衛隊入間基地のヘリV107は、墜落地点を「入間タカンから291°/36.3NM」と測定。

02時頃防衛庁より新聞社へ、朝刊最終版締め切り直前に「事故現場 はぶどう峠から210°/3NM。御座山南斜面で山頂から1kmの地点の長野県側(資料1 防衛庁情報3)」との情報が流された。

04時39分 防衛庁ヘリコプターが日航機の残骸を「再発見」。墜落現場を確認しながらもなお、墜落地点は「三国山の西3km。扇平山の北約1km」と誤って通報。(資料1 防衛庁情報4)

05時10分 陸上自衛隊ヘリOH6も墜落現場を視認、「御座山東約5km」と誤った報告。(資料1 防衛庁情報 5)

05時37分 長野県警ヘリも日航機の残骸を「発見」「確認」した。

07時10分 海上保安庁は2時30分頃からの巡視艇に引き続き、航空機も 出動させ駿河湾、相模湾の海上捜索を行う(乗客が機外に吸い出された可能性を考慮して)。

11時40分頃 4名の生存者を発見救出。14時15分頃に藤岡市内の病院に 収容。

■疑惑の残る墜落地点の情報

 上記の経過を見ると、防衛庁の位置情報が混乱しているのが良くわかります。又、12日の20時8分の出所不明の110番通報に始まって、「長野県側」の情報が繰り返し流されているのもわかります。
 航空機によって測定された現場は、 長野県側のものは翌日の朝になるまでは、一件もありません。翌朝、明るくなってから、残骸が視認された時にやっと航空自衛隊が長野県の地点を通報しています。 他はほとんどが群馬県側で、一件、埼玉県のものがあるだけです。
 墜落地点は、北緯35°59′54″、東経138°41′49″と確認されており、地図上での横田タカンからの磁方位は302°、距離は36NM(約65 )で、羽田VORからの磁方位は305°/60NM(108 )です。実際に飛行機で測定する場合には、これに誤差が加わります。とは言うものの、 当日、航空機が測定した、横田、入間や羽田からの方位と距離で、長野県側でないことは容易にわかることです。それにもかかわらず、なぜこの様に「長野県情報」が繰り返し流されたのか、強い疑問がわいてきます。
 いずれにせよ、この狭い日本で、墜落現場が民間の新聞社のヘリによ って確認されながら、防衛庁関係のヘリは、翌日の朝になって、現場を視認しながらも、位置の情報を間違えていたことについては、その原因を究明して改善しないと、今後の救助活動にこの経験を生かす事が出来ません。事故調査報告書で、このような救難捜索の問題について、全く触れていないのはどうしてでしょうか?
 墜落地点の情報についても、なぜ出所不明の「ぶどう峠の長野側」の情報に振り回されたのでしょうか? あの山岳地では、飛行機ならば問題なくても、地上からでは、3kmも違えば尾根一つは違ってしまい、とても到達できません。山岳地帯の多い日本では、航空機からの位置の確認方法を再検討しなければならないと思います。

■検察官も否定した事故調の推定原因

 87年6月12日に123便事故の事故調査報告書が公表されましたが、 その前からマスコミを通じて、繰り返し「後部圧力隔壁の修理ミス」「急減圧」 などの言葉が報道されました。
その結果、多くの人が日航123便事故を、事故調の発表通り、

修理ミスが原因で、飛行中に後部圧力隔壁が客室与圧に耐えられなくなって破壊し、客室与圧空気の圧力により尾部胴体、垂直尾翼が破壊され、油圧系統も破壊され操縦不能になり墜落した。

と思い込んでいます。ところが、この事故の刑事責任を調査していた検事が、この事故で亡くなられた方々のご遺族に、

修理ミスが事故の原因かどうか相当疑わしいということだ。
タイ航空機の時には、乗客の耳がキーンとしたという声があったが、
今回はない。
圧力隔壁がいっぺんに起こったかも疑問である。
まず、ボーイング社が修理ミスを認めたがこの方が簡単だからだ。落ちた 飛行機だけの原因ならいいが、他の飛行機までに及ぶ他の原因となると、
全世界のシェアを占めている飛行機の売れ行きも悪くなり、  
ボーイング社としては打撃を受けるからだ。
(8.12連絡会パンフレットより)

と語っており、事故調の調査内容を全く信頼していないのは注目されるところです。

■急減圧が無ければ報告書は崩壊

 123便は、上昇して高度24000ftに到達した頃に異常が発生しました。事故調はこの異常事態は急減圧だと推定しています。24000ftで急減圧 が起こると、どのような現象が見られるのでしょうか。
 現代の大型旅客機は通常、20000ftから40000ftの高度を飛行する事が多いため、すべて客室は与圧され、気圧が低く酸素が少ない高高度を飛行していても、客室は8000ftより低い高度の気圧が維持されています。そのために胴体の内と外ではB747型機では、最大8.9PSI(1平方インチについて8.9ポンド=626 /cm2=約6.3t/m2)、言い換えると、1m2におよそ乗用車4台分の重さに相当する大きな力が胴体の内から外に向かって加わっていることになります。飛行機の胴体は、ちょうど風船のような状態です。ですから穴があけば中の空気は、瞬時に外に向かって噴出し、客室の圧力は急激に低下します。これが急減圧です。その吹き出した空気の圧力が、与圧されていない垂直尾翼や胴体尾部を破壊した、と事故調は推定しているのです。
 従って、急減圧の存在が証明されなければ、事故調の推定は根本から崩れてしまいます。この根本的な「急減圧があったか、無かったか」、それがこの事故原因の争点です。

■客室高度警報は作動したのか

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 機体に減圧があった場合に起こる現象の一つに、客室高度警報音があります。客室の気圧が高度10000ftの気圧より低くなると、操縦室の警報器が作動します。この警報音は、離陸警報の警報音と同じブザーで、音を聞いただけでは区別は不可能です。これを区別するのは、「車輪が収納できる状態(ティルト;次頁図)にあるか否か」と「エンジンの推力がある程度以上に大きいか」によって区別されます。  この事故機の場合は、上昇中なので推力は出ていますから、問題は車輪のティルトの状態だけです。  CVRの解読記録では、異常発生の数秒後に、副操縦士が「ギアドア」と指摘しています。漠然と、車輪に異常があったのではないか、というようなものではなく、具体的に車輪収納部のドアの異常を指摘しています。 続いて機長が「ギア見て、ギア」と機関士に指示していると見られる声が記録されています。その後、この機長の指示を受けて、機関士が「ギア、ファイブオフ」(車輪全て収納状態)と報告しています。
 この記録から多くの乗員は、「車輪の収納部のドアが開いたことを知らせる警報灯が一時的に点灯したのではないか」と指摘しています。油圧系統に異常があると、車輪がティルト状態から外れ、飛行中でも地上のモードになってしまうことがあります。このときには空中にあっても、飛行機は地上に着いた状態になり、客室の与圧を抜くように圧力調整用のバルブを開きます(着陸後与圧が残っているとドアが開けられないので、それを防止するため)。その結果、客室の気圧が下がり、激しい急減圧ではありませんが減圧状態になります。また、その状態でフラップを離陸位置まで下げずに、推力を増すと離陸警報が作動します。
 FDR記録によれば、異常事態では+2G〜−0.25Gと、大きな上下方向の Gが加わっています。その時、油圧の低下が加わると、車輪が適正な格納位置からずれたりする可能性が高くなります。そうすると空中でも地上と同様の状態になり、客室の空気を抜くように弁が開くため、客室内の湿度が高くなる夏などでは、白い霧が出る程度の軽い減圧が生じ、しばらくして客室高度警報が作動することは十分に考えられることです。
 車輪がその時、どうなっていたのかを示す問題のティルトの状態についてはFDRに記録されていますが、事故機のFDRの解読では、この警報の作動した瞬間を含めて3秒間だけ、 記録が不正確になっている事を示す「エラー」マークが記されています。従って客室高度警報か離陸警報かを判定する記録は無いことになります。

■一秒の警報を客室高度警報とすると、急減圧は否定される

 事故機のCVRの解読によると、「ドーン」という異常発生時の音に続いて、1秒間だけ客室高度警報か離陸警報が作動しています。その後27秒間停止した後、22分以上にわたって連続作動しています。
 警報が一秒で停止し、その後再び作動したことは、警報器の故障や乗員の停止操作で一秒で止まったのでなく、警報装置は正常に機能していたことを示しています。従って、一秒の警報音を客室高度警報とすれば、 一秒間だけ10000ft(約3000m)以上の高度に相当する気圧まで低下し、再び気圧が上昇したことになります。急減圧がこのように、一旦3000mまで上昇し、 その後、 又、 降下することは考えられません。 これは急減圧=圧力隔壁の破壊を否定しています。
 多くの乗員は、一秒間作動したのは、油圧の低下と大きな上下のGによる、車輪の位置の一時的な異常による離陸警報で、減圧については、 そのために客室の圧力調整弁が開いて、一時的な減圧状態が生じたのではないかと見ています。
 いずれにしても、この警報音は急減圧を否定するもので、日本航空の運航担当者も「一秒間での停止は不自然で、社内でも調査中である」と乗員組合に説明しています(94.3.17.)。
 急減圧という結論が先にあるため、事故調はこの1秒間の警報音を矛盾なく説明することができず、「1秒間しか鳴らず、その後27秒間停止し、再び鳴り出した理由を明らかにすることは出来なかった。」と事故調査報告書に記載するのみで、事象の説明=原因追求を放棄しています。

■気温は6秒で65℃低下したはず?

 これまでは、警報音のような、機体のメカニズムに関係する減圧時の 反応について話しました。今度は、故障の可能性が無く、例外なく発生する物理的現象や生理的現象をチェックしてみます。 空気を圧縮すれば熱が発生して温度が上がります。この現象は自転車のタイヤに空気を入れたりするときに経験する現象です。逆に膨張させると温度が下がります。従って、急減圧の時には必ず客室温度の低下が見られます。
 事故調の計算では、6秒以内に客室温度は65度低下して、氷点下40度までが下がったと計算しています。しかし、4名の生存者の方々は誰も 寒かったとは言っていません。残された遺書の中にも寒さを訴えるものは見つかっていません。
 真夏の8月半ば地上が30度の酷暑、客室温度が一瞬に氷点下40度まで下がったときに「凍えるほど寒い」と訴えない人がいるでしょうか? また、高度24000ftの外気温度は、地上よりも40〜50度近く低い、氷点下10〜20度付近であったと推定され、圧力隔壁が破れていれば減圧後も寒さは続いていたはずです。ハワイの沖で、89年2月24日ホノルルを離陸後、123便とほぼ同じ高度で、貨物室の扉が突然開き、急減圧が発生したUAL811便のB747型機の事故では、搭乗者の誰もが「凍えるように寒かった」と話しています。
 事故調は、急減圧があったとすれば客室温度は低下したはずだ、と計算はしているものの、現実に温度が低下した事実は確認されていません。 計算でこうなったはずだ、というのは憶測にすぎません。事故調査は事実に基づかなくてはなりません。

■強い風も吹かなかった

「パーン」という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。
かなり濃くて、前のほうがうっすらとしか見えないほどです。
私の席すぐ前は、それほど濃くはなかったのですが、もっと前の
座席番号「47」「48」あたりのところが濃かったように見えました。
ふと見ると、前方スクリーンの左側通路にスチュワーデスが
立っていたのですが、その姿がかすかに、ボヤーッと見えるだけでした。
その霧のようなものは、数秒で消えました。
酸素マスクをして、ぱっと見たときには、もうありませんでした。
白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。
すっと消えた、という感じだったのです。

これは、事故機に乗っていて奇跡的に救助された、落合さん(元日航アシスタントパーサー)が話した、異常発生直後の状況です。落合さんが座っていたのは、「56」列の席です。座席は両窓側が59列まで、中央部は60列までです。落合さんの席は左窓際の列の通路側、後ろから3番目の席です。

 この中で注目されているのが、

  1. 落合さんの席から見て前のほうが霧が濃かったことは、機体後部より 前の方が温度が低かったことが考えられます。この事実は、落合さん よりも後方の席に座っていた川上さんにも「前の方から白い霧のよう なものがきた」という趣旨の発言があり、これを裏付けています。 これは、客室後部の後部圧力隔壁から空気が吹き出したということに、 疑問をいだかせる現象です。
  2. 霧がすぐに消えたことは、気温の低下が比較的短時間で止まったこと によると見られます。
  3. 空気の流れを感じていないことは、他の急減圧事故と大きく異なっています。

 客室の空気が機外に噴出すると、機内には当然、強い風が吹き抜けます。先に例として挙げた、UAL811便の事故では、機内を強い風が吹き抜け、紙屑、雑誌や固定してないものが吹き飛ばされ、客室乗務員も吹き飛ばされそうになり、足を踏ん張ったり、ものに把まったりしたと報告されています。  123便事故の翌年の10月26日に、四国沖で発生したタイ航空エアバス A300ー600型機の急減圧事故でも(原因は機内での手投げ弾の爆発)、強い風が機内を吹き抜け、機内のものが飛び散ったことが報告されています。 機内に空気の流れがなかったことは、急減圧もなかったことになります。

■気圧は半分以下。酸素も不足。でもマスクなしでも乗員異常なし

 地上では標準気圧は1気圧で、水銀柱で760 (1013ヘクトパスカル)ですが、高度24000ftでは約308mm(400ヘクトパスカル)と気圧は半分以下に低下します。それに比例して酸素も薄くなります。
 事故調が推定しているように、5秒程度で気圧が半分以下に低下する のはまさしく急減圧です。 航空医学書などによりますと、(例「臨床航空医学」監修:上田 泰 航空医学研究センター発行)「このような急減圧では、減圧症と呼ばれる症状が現れる。これは気圧が地上の1/2になる18000ft 以上の高度に急激に上昇すると、血液中の窒素が気泡となって血管や関節の中に詰まり、 激しい痛みを訴えるなどの症状が見られる」と記載されています。これを防ぐためには、事前に100%酸素を少なくとも30分呼吸すると予防できる事が知られています。
 減圧症はスキューバダイビングなどでも発生する、気圧の急激な変化に伴う症状です。生存された方々からは、この様な症状の報告はありません。
 これとは別に、高高度では気圧ばかりでなく、酸素の分圧も低く、呼吸をしても酸素が体の中に十分吸収できずに障害が起こります。これが酸素不足による低酸素症です。
 低酸素症は自覚症状がないまま意識を失うのが特徴で、突然、意識を失なう危険性があります。そのために乗務員は、減圧を認識したら、他のことは後回しにして、直ちに酸素マスクを着用するように訓練されています。子供を連れた乗客にも、子供は後にして大人が先に酸素マスクを着用するように指示しているのは、大人が先に意識を失ったら子供を助けることが出来ないからです。
 ところがこの事故では操縦席の乗員3名は、「マスクつけましょうか」 と会話しながらも、終始酸素マスクは着用していません。事故調が推定しているような激しい減圧があれば、これほどのんびりとはしていなかったと見られています。
 事故調は、乗員が低酸素症になっていた可能性があるとして、CVRの会話から次の四点を上げています。

 これらはいずれも、低酸素症でなくても他の原因でも発生することで、その時の他の条件も考慮しなければ意味がありません。更に、CVRは事故調査委員しか聞いていないので、会話が多いか少ないか、特に語調が強いか弱いかについては、事故調の主観的評価であり、そのまま信用するのは危険が伴います。
 7分から12分、16分から19分にかけて、機体は旋回中で、フゴイドも激しく、−0.5Gから+1.8Gが記録されています。思うように操作できない機体を何とかしようと必死で、会話どころでないのは当然です。
 機関士が酸素マスクの着用を提案したのに対して、軽く受け止めているのは、それだけ減圧が厳しくなかったと、逆の解釈も成り立ちます。これを減圧の証拠とする根拠はありません。
 CVRはこれまで事故調以外の人は聞かされていないので、語調がどの 程度強くなっているのかわかりませんが、11分後はちょうど+1.7G が記録されている頃で、本当に言葉が激しくなっていたとしても当然だと思われます。
 このように事故調が低酸素症の証拠として、説得性のないものしか取り上げられなかったこと自体、急減圧の結論を合理化するために、無理に低酸素症があったことにしようとしたためとも考えられます。

■事故調委員長が報告書を修正?

 既に見たように、 報告書では乗員がなぜ酸素マスクを着用しなかったのか、については「その理由を明らかに出来なかった」としていますが、当時の事故調査委員長が、94年2月6日、日本テレビ放映の特集番組で「酸素マスクをつけていられないような状況にあったのではないか、もっと重要なことがあったのではないか」と報告書と異なる説明をしています。乗員にとって減圧率が毎分300000ft(事故調査報告書)にも及ぶ激しい急減圧状態で、酸素マスクを着用する以上に重要なことは想像できません。差し迫った空中衝突を回避するのでもなければ、自殺行為です。
 事故調の委員長自身が報告書と異なる見解を事後に披露したのは前例のないことで、このマスク着用については報告書の内容に疑問を持っていたことを示すものです。事故調は酸素マスクの着用より重要なこととはどのようなことかを明らかにしなければなりません。
 このような矛盾が生じたのも、事故調が原因を「急減圧」にこじつけようとした結果ではないでしょうか?

■乗員は激しい緊張と労働をしていたにもかかわらず、 酸欠は見られない

 低酸素症で自覚しやすいのは視野が狭くなることです。 時には体が熱く感じることもあります。
 外から見える低酸素症の症状は、「顔色が悪くなる」「簡単な計算が出来なくなるなど、知能活動が低下する」「反応が遅くなる」「字を正確に書くなど、協調した運動が出来なくなる」「言葉がはっきりしなくなる」 「意識障害」などで、いずれも本人は自覚しにくいとされています。又、18000ft以上は「危険域」と呼ばれ、意識障害が起こり、放置すると命に関わる危険性があるといわれています。更に、これらの症状は「酸素を多く消費する激しい緊張や労働を伴うと発症しやすく、危険性が高まる」 と医学書には書かれており、注意を促しています。
 動作が鈍くなり、判断力が損なわれ、バランスのとれた運動が出来ず、 字が正しくかけなくなる状態になるまでの時間を有効意識時間と呼んでいます。有効意識時間は高度22000ftで5分から10分、高度25000ftでは 2、3分というのが航空界の常識で、世界的な定説です(資料4.5 有効意識時間のグラフ)。
 事故調の報告書によると、有効意識時間は、低酸素症で筆記文字が崩れ出すまでの時間で、急減圧の場合は、緩やかな減圧よりも短くなり、身体的作業(力仕事)を伴うと更に短くなると書かれています。そうすると、操縦という身体的労働をし続けていた、この事故機の乗員の場合、有効意識時間は平均的な値よりも短くなるはずです。
 事故機の乗員は墜落の瞬間まで、操縦桿を飛行機の姿勢を修正するように動かし続けていたことがFDRに記録されています。操縦桿は油圧が なくても操舵感覚を持たせるためのスプリングによる抵抗があるために、正常な時と同じく、かなりの力を必要とします。急減圧に続いて、力仕事を続けていたら、有効意識時間は大幅に短くなるはずです。
 それに加えて経験したことのないエンジン推力だけによるピッチ(機首の上下)操作は、かなり予測を必要とするため、頭脳の働きとバラン スのとれた手の操作が必要で、地上のシミュレータでやっても難しい操作です。それにも拘わらず事故機の乗員が、異常発生から10分から12分後にエンジン推力の操作だけで機首を安定させることに成功している事は、事故調も確認しています。もしも本当に急減圧が発生し、飛行高度の外気と等しく、気圧が半分程度になっていたと仮定すると、エベレストのベースキャンプ付近の高さまで数秒間で上昇し、そこで酸素マスクなしで、20分も重労働をしていたことになり、酸欠症状が出ないことはあり得ないはずです。
 しかし、事故機の乗員の取った行動をみると、とても酸欠症にかかっていたとは考えられません。航空機関士も、 異常発生から10分経過した時点で、会社との無線連絡──通常は機関士の業務ではない──を適切に、はっきりとした言葉で処理していたのが傍受されています。

■急減圧説を守るために『意気込んで』行った実験

 事故調の主張するような、急減圧の存在については航空関係者では、一部の「航空評論家」以外はあまり信じてはいないようです。86年4月25日に開催された聴聞会でも急減圧説を述べた口述人はいませんでした。
 聴聞会で日乗連を始め、日航の乗員組合、機長会(現在の機長組合)、 客室乗務員組合などの現場の乗員はいずれも急減圧には否定的で、別の観点の調査や、相模湾の海底調査を求めました。中でも日乗連と日航乗員組合は具体的に、「急減圧状態の後、20000ft以上の高度を20分近くも飛行を続けることは低酸素症に陥り、いろいろな事態への対応が不可能ではないか」と指摘し、急減圧はなかったと考えられると口述しました。
 聴聞会から4ヶ月ほどたった8月7日付けの読売新聞(資料3)で、「急減圧でも操縦可能」「隔壁主因を補強」などと6段抜きの見出しで、事故調による航空医学実験隊での実験結果が報道されました。
 その後、読売新聞社から出版された『悲劇の真相』ではこの実験について、「もし日乗連の主張通りなら、隔壁引き金説は崩れ去りかねない。それだけに、事故調の意気込みには、ただならないものがあった。」と書かれています。科学的に公正な調査ならば、実験の結果「隔壁引き金説」が否定されても、真実への一歩前進であり、矛盾のない新しい推定原因を考えればよいことです。全く意気込む必要はありません。この記述からも、事故調が急減圧という結論を変えない方針であったことが読みとれます。

■急減圧を否定した事故調の実験結果

 事故調は垂直尾翼を破壊するには、計算上、毎分約300000ftの「急減圧」(1分間に約90000mの高さの気圧まで、又は6秒間でエベレストの頂上近くの気圧まで下がる減圧)があったとしていますが、報告書には、一時的な白い霧が発生したなど、緩やかな減圧を示す事実は見られますが、これほど激しい急減圧を示す物理的な事実は見あたりません。むしろ急減圧の発生を否定する事実が目に付きます。
 事故調では「毎分300000ft程度の減圧は、人間に嫌悪感や苦痛を与えない」と言っていますが、これに同意する航空関係者はいません。
 事故機の乗員は異常発生後も酸素マスクはつけていませんでした。事故調の言うような急減圧があったとしたら、20000ft以上の高度を18分間にわたって飛行していた事になり、当然、機能低下や意識障害が起こ るのではないか、との疑問が出されました。
 この点を指摘された事故調は、急減圧とそれに続く20000ft以上の高度の飛行でも、意識障害が起こらずに操縦できることを証明せざるを得なくなりました。そこで自衛隊の航空医学実験隊の施設を借りて、「ただならぬ意気込みで」減圧実験を実施しています。
 ところがその実験では、後で述べるように、事故機の半分ほどの時間だけ酸素マスクをはずしたり、減圧症が起きないように事前に酸素吸入を行なっています。このような実験では「急減圧があったとしても、操縦可能である」ことの証明にはなっていません。むしろこの程度の実験しかできなかったことは、急減圧を否定する結果になっています。

■実験は酸素マスクをつけて、事故機の百分の一の減圧率、マスクなしは12分だけData3.gif (54661 バイト)

 86年8月7日付の新聞記事(資料3)の内容は、「9分間マスクをつけない」というだけで詳しい内容は報道されていません。報告書から見ると、実験は2回行われています(補助的実験を除いて)。試験1と呼ばれているものでは、被験者は2名で、事故調の推定した状況とは違い、 酸素マスクをつけて24000ftの気圧まで8分かけて減圧し(減圧率は毎分3000ftで、 事故調の推定の1/100程度のゆっくりした減圧)、その後、24000ftの気圧で、12分間だけ酸素マスクを使用しないで身体作業を伴わない簡単な作業を行いました。実験の結果は「わずかな機能低下は起きたものの、操縦不能につながるような激しい変化は起きなかった」というもので、機能低下に限って言えば、事故機が20000ft以上を飛行した時間の半分でも機能低下が発生することを認めるものでした。
 20000ft以上の高度では、最大12分間程度は操縦可能ですが、それ以上長くなると、操縦は出来なくなり、まもなく失神する危険性があることは、AIM-JAPAN(AIRMAN'S INFORMATION MANUAL JAPAN:運輸省航空局監修)にも記載があり、一般に知られている事で、今更実験をするまでもないことです。なぜ事故機と同じ18分間の実験をしなかったのでしょうか? もし、20000ft以上の高度の気圧で18分間減圧にさらすと意識障害発生の可能性がある事を事故調も承知していたために、12分間しか実験出来なかったと考えると、この実験は「事故機が経験したような急減圧でも操縦可能」という事故調の意図した結論を否定する結果になっています。

■減圧症が出ないように脱窒素をした;試験2

 試験2と呼ばれるものは、減圧室の同乗者は3人でしたが被験者は1名のみで、減圧症の発生を避けるために実験前に100%酸素を吸入しています。報告書には、被験者は、実験開始から終了まで酸素マスクなしで、 客室高度を650ftから約5秒間で24000ftの気圧まで減圧し、その後20分間20000ftを維持するように設定したとあります。20000ftを維持している間は簡単な作業を行って、作業能力の低下を調査したとされています(資料5)
 酸素マスクをつけていた同乗者3名のうち2名は交互に10分だけ酸素マスクをはずして作業能力調査に参加(資料4)していますが、その結果は、

急減圧した際、被験者には急減圧による格別の症状は認められなかった。被験者の計算に要する時間は、漸増する傾向にあり、
声の基本周波数は8分経過した頃から明らかな上昇を示した。
音圧は変化しならも低下している。
マスクをはずした同乗者は、被験者により差があるが、
マスクをとって4分後から、著しく反応時間が増大し、
マスクをつければ元に戻った。

 と報告されています。
 減圧症の予防対策として、100%酸素を吸入してから実験したという事実は、「事故機に発生した程度の減圧は、人間に直ちに嫌悪感や苦痛を与えない」と事故調が報告書の中で主張していたことと、裏腹で相いれないものです。
 減圧症の予防をしておいて、「急減圧による症状は認められなかった」 のは当たり前のことで、これでは単に、事前の酸素吸入の効果を確認しただけの実験に過ぎません。事故調は何を目的にこの実験を行ったのでしょうか?
 マスクをとった同乗者の気圧の状態と時間経過については、(資料4)に 「試験2 同乗者」のグラフで示した通りで、事故機の飛行時間から見れば半分に近い時間で、ほぼ有効意識時間の範囲内で行っているに過ぎません。それでも4分間で反応が遅くなったのです。
 事故機の乗員には、「語調の変化はあった」と事故調は言っていますが、作業遂行能力が低下した事実は確認されていません。その様な記載は、報告書にも見あたりません。
 本当に急減圧があったとすると、この実験結果からは、減圧10分後にフゴイドをエンジン操作だけで押さえるような高度な操縦は出来ないことになります。(資料4.5)で、グラフで示した日航123便の飛行高度変化の振幅が10分以降、小さくなっている部分)

■被験者本人が酸素マスクをつけたと証言

 その上、「急減圧」シナリオの要となる、この急減圧実験結果については、事実隠しの疑いもあります。
 報告書が出される以前の、86年11月25日、日本航空の機関士会員10名が、立川市にある自衛隊航空医学実験隊を見学に訪れました。このときの報告が機関士会の会報(87年1月15日付)に掲載されています。
 その中で、最も印象に残ったこととして、 事故調が行なった減圧実験の被験者だった人から聞いたという次のような話が記載されています。

最も印象に残った事は、
雑談の中で聞いた日航事故を想定して、客室高度650FTを7〜8秒かけて24000FTに急減圧した実験で、
今までに経験した事がないほど肺から空気が吸出され、
すぐにまわりが暗くなり(低酸素症)思わず酸素を吸ったという話でした。

 日航の乗員の間では急減圧の有無については、前記の読売新聞の記事などもあって関心が高く、この話は広く知られていましたし、その年 (86年)の12月17日付で、日乗連から出された「事故原因と調査を考える」 と題したパンフレットでもすでに公表されていました。この実験結果が世間に知れ渡ったことで、乗員の中には事故調も最終報告書では急減圧はなかったと訂正するものと思っていた人も少なくありませんでした。
 ところが報告書を見て唖然としました。

被験者は、試験開始から終了まで酸素マスクなしで、課題作業に従事した。急減圧した際、被験者には急減圧による格別の症状は認められなかった。実質的に約23000フィートの高度に、12〜20分間低酸素状態にさらされた、いずれの被験者・同乗者も、低酸素暴露中に課題作業遂行能力が減退したが、意識の喪失は観察されなかった。

 と報告書は両方の実験結果をまとめています。
 この報告書の記載は明らかに被験者から直接聞いた話と異なっています。被験者は「酸素マスクを着用した」と、日航の機関士たちに語っていましたが、報告書では「被験者は試験開始から終了まで酸素マスクなしで、作業を実施した。」と記載されています。これは急減圧の有無を示す要となる実験です。この食い違いは重要です。
 単なる見学者であった機関士に、 被験者がわざわざ「マスクをつけた」と嘘を言う必要性があるでしょうか? 被験者の証言が事実だとすると、 報告書は実験結果を隠し、偽の結果を記載していることになります。
 こうなると他の実験の結果や、CVRの解読、FDRのデータにも疑いが生じてきます。事故調は疑惑を晴らし、真実を明らかにする義務があります。

■事故調による実験結果隠しは許せない

 このように、急減圧実験(試験2)の結果については、事実隠しが行わたのでは・・・という疑いが生じています。 これまでも事故調は、中標津事故調査でプロペラに関する調査資料を

改ざんしたとして、国会で取り上げられたことがあります。 このような事実隠しや改ざんは、事故調が初めに「結論」を持っていて、 それに併せて「事実」を取捨選択し、「結論」を否定する事実は隠すか改ざんするために発生します。事故調査は公開された科学的に公正なものでなくてはなりません。このような事故調査を続けていたのでは、事故の再発防止は不可能で、航空の発展の障害になります。 事故調は急減圧の実験を今度は公開で行い、その結果に従って自主的に再調査しなければなりません。これが事故調査への国民の信頼を回復する唯一の方法です。


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